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空白の舞台

  1. 2007/12/19(水) 08:12:07|
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世間のしがらみがない自由な表現の場を得たときに、実際は逆に何もできなくなってしまうことがある。圧倒的な自由を前にして、自分自身の想像力の不自由さを痛感して脚がすくんでしまうのだ。こうしろと言われたからこうやったんだ、という言い訳ができない、100パーセント自己責任の舞台。そこでは表現のひとつひとつが紛れもない自分の意志によるものなのだ。その恥ずかしさを振り切って一歩踏み出すには、不自由な自分を直視し受け入れ、その不完全な表現を承知の上で展開しなければならない。空白の舞台は何もきっかけをあたえてくれない。ただ踏み出すのを静かに待ち続けている。

なにやらボヤいて

  1. 2007/12/13(木) 03:06:02|
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えっ!そういうこと?ありゃま。んー。まあいいか。ふう。しかしなー。やっぱりなー。なんだかおかしいなー。いやまあそうだけども。でもそれとこれとは…あれ?雰囲気悪くすんなみたいな?選択の余地なし?おとなしく飲み込めよと。はあそうですか。そうですね。そりゃそうですよ。世の中そういうもんだ!分かりましたよ。やりゃいいんだろ。これでもか!ウリャー!やけくそだー!フギャー!ああもう一丁!ホギャー!えっ、そうじゃない?ところで何だっけ?あ、そんなこと?ありゃ?なんだ全然。ところでみんなどこ行っちゃったの?

ほんわり

  1. 2007/12/11(火) 02:46:10|
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できればほんわりしていたい。ふわふわと。あほーだとおもわれてしまうよ。軟弱だとおもわれてしまうよ。甘ったれだとおもわれてしまうよ。カマトトだとおもわれてしまうよ。だから今日もつい大人なふり真面目なふり強気なふり批評家なふり悪いふりドライなふり疲れたよ。ふにゅ。

もう寝るよ

  1. 2007/12/10(月) 06:31:22|
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さあ書くぞ。もう朝の6時だ。もう寝たい。でも書かないと書く習慣を続ける気力がなえてしまう。すぐ寝てやるぞ、何でもいいからさっさと書くぞ、キーボードを打つ手を休めないぞ。ああ一分ほど止まってしまったいかんいかん。迷うな迷うな。隙間を埋めろ。立ち止まっても無駄。おおだんだん文章量が増えてきた。立派なこと書こうとすると時間をロスする、そんなことしてる暇があったら少しでも前に進め進め。ああああああああああああ。これは反則だな。追いつめられて出てきた苦し紛れの言葉の方が、よっぽど本当。頭痛い。寝ないと明日朦朧としてだめだ。もう今日か。というか峠を越しちゃってもう眠れないんじゃないの?いやなんとか寝なきゃ。しかしまあ、あんまりキーボード打つの遅くなっって来たな、もっと速く!もっと迷いを振り切るぞ!なんか思いついたらどんどんずんずん書くぞいくぞすすむぞ、まだまだもっとだ飛べ飛べひゃあひゃあ、ふうふう、いいぞいいぞ、箸って全力満開誤変換無視無視つじつまなし句読点もしゃらくさいぜ12345数字だあbcでfぐぃjklmn英語だ誤変換だでもいいよーしもういいかな?いいのか?いいや!さあ寝るじょ。

油断の技術

  1. 2007/12/07(金) 05:52:32|
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ビデオカメラやマイクを向けられると、つい面白いことや立派なことを言おうと身構えてしまって、ありがちなことを言ってしまい、かえってつまらなくなってしまうことがよくある。カメラやマイクを向けられる前の、油断している時の言動のほうが、表向きに作り込まれた自己表現よりも面白いことが多い感じがする。
それは文章を書くときにもいえる。自由な文章を書ける人というのは、ワープロや原稿用紙を前にしても、油断した状態で居続けることができる人なのかもしれない。でも多くの人はそれがなかなかできずに、知らず知らずのうちに身につけてしまった小器用な無難でおさまりのいい文体・構成・オチ・テーマに安易にすがってしまいがちだ。どこかで見たことがあるエッセイらしさ、小説らしさを追いかけてしまうのだ。一旦知ってしまった様式を拭い去るのは難しい。それでもそのことに気づいて危機感を感じてなんとか既存の色々な型に染まる前の自分に近づこうと努力し続けた人が、自由な文章を書けるようになるのではないだろうか。絵画もそうだ。ピカソも努力して天然に近付こうとし続けた人だと思う。
難しいのは、ただ油断しているだけでは、既存の型通りの思考を無自覚にだらだらと展開するだけになってしまうということだ。まずは自分の感覚が今世間に氾濫している型の外側に抜け出ていること。これはこれで別の努力を続ける必要がある。そのうえで、油断した状態になれたときにはじめて自由な創作ができるようになると思う。
このように自由な文章についていくら書いても、実際に自由な文章それ自体を書くこととは程遠い。それは全然別物なのだ。油断が足りない。

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